『幕末維新始末』(GJ65号)をソロプレイする

2023年10月2日月曜日

t f B! P L
ゲームジャーナル第65号より、『幕末維新始末』を第6ターンまでソロプレイ。

セットアップ
初期配置は長州・京師・総武のみで、薩摩も土佐も空っぽ。

第1ターン
薩長方、《人事改革》で大村益次郎を長州に配置。
長州の4兵力を引き連れて摂播に移動し、支持獲得に成功。
エリア得点2と戦闘時の退路を確保。

第2ターン 
徳川方、《列藩同盟》で土佐を徳川支持にする。
土佐は京に近く、兵の戦闘力も高い。

対する薩長方、《公議輿論》で尾張の支持を獲得。
江戸から京都への増援はここで足止めされる。

大村益次郎、長州兵を率いて京師に侵入。
戦闘フェイズで戦争状態を「開戦」に変更し、徳川慶喜と松平容保に襲いかかる。
世にいう「第2次禁門の変」...と、ここで重大なルール間違いをしていた。

朝廷非保有陣営が戦争状態を変更するには、手札3枚を捨て札にしなければならない。
よって、本当はこの時点で戦争状態を変更することはできなかった。

さて...
戦闘は、〔1D6+指揮官の軍事能力〕が高い側が一方的に攻撃できる。
大村益次郎の軍事能力は3、松平容保は1。
幕府兵と会津兵は一方的に殴られる。
しかも、京師に隣接するエリアが徳川支持ではないため、撤退もできない。

徳川方は全滅。
ただし、指導者は生き延びて総武に再配置された。
「松平容保が戦死すれば、裏面の佐川官兵衛になり、軍事能力が2に上がったのに...」
と思ったことは内緒である。
後から考えると、ひとりくらい土佐に落ち延びさせても良かったかもしれない。

さて、小御所会議。
徳川方は指導者も兵もいないがサイコロは振る。
朝廷は薩長支持に代わる。

これにより、
徳川方公家:二条斉敬が一条実良に裏返る。
薩長方公家:正親町三条が岩倉具視に裏返る。

徳川の政権点は2から1にダウン。

ターン終了時
徳川方:総武(1)...計1得点
薩長方:薩摩(1)+長州(1)+摂播(2)+京師(1)...計5得点
(以上は参考値。累積するわけではない。)

第3ターン
薩長の東征軍(大村益次郎、大久保一蔵、長州兵4)は一気に北越に移動し、支持獲得に成功。
薩長方の得点は1増えて6。

第4ターン
小御所会議。
圧倒的に有利な薩長方がダイスで1(必ず失敗)を出してしまい、朝廷は徳川支持に戻る

一方、東征軍は江戸攻撃も可能だったが、それをせずに会津に進出。

大久保「江戸を制圧してもゲームが終わるわけじゃなし」
大村「回天丸と富士山丸の艦砲射撃は侮りがたし。ここで兵を損じると補充できぬ」


しかし会津の支持獲得は失敗。

第5ターン
西郷「《新政権樹立》キター!
...が、今は朝廷を保有してないから使えんのでごわした。
手札に入れて時機を待ちもそ」

小御所会議。
前ターンの決定があっさり覆り、薩長支持に戻る。

ターン終了時
肥前(佐賀)がこの時期に徳川支持に回る。
鍋島閑叟がクーデターで押し込められたか?
ただし、このゲームの肥前兵はさして強くない。

一方、東日本では東征軍がついに会津を制圧。

徳川方はすっかりやる気をなくしてしまったが、残りは19ターンもある。

次ターン、薩長方は《新政権樹立》で政権を奪取すると思われるが、それで終わるわけではない。
さらに《外交折衝》が出て、ようやくサドンデスになる。

大勢が決したので、ここでゲーム終了とする。

ルールの間違いは脇に置くとして、薩長方は初手で大村益次郎を登場させられたのが大きかった。
逆に徳川方は《人事改革》を引けず、河井継之助を登場させられなかったのが痛かった。

ちなみに、大村益次郎の軍事能力3はゲーム中最強。
徳川方に、これに比肩し得る指導者はいない...いや、実は酒井玄蕃も軍事能力3だった。
河井継之助の裏面なので、彼が登場する頃には、徳川方は土俵際まで追い詰められていると思われるが。

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