ゲームジャーナル第8号より、『甲越軍記』をソロプレイ。
同誌収録のリプレイ漫画はこちら。
第1回(※)
主導権は武田。
晴信が佐久、板垣信方が諏訪に進出。
晴信、笠原清繁を苦戦の末破るが、佐久の支配には失敗。
板垣信方は諏訪頼重を破り、諏訪の支配に成功。
諏訪の武士団を配下に収めて駐留する。
上杉は景虎が毘沙門堂に籠っているのでやることがない。
村上義清も戦力が少ないので動けない。
(※)ルール上、「ターン」ではなく「回」で数えることになっている。
第2回
主導権はまた武田。
晴信は再度佐久に進出。
板垣信方は小笠原長時を破り、筑摩の支配に成功。
真田幸隆は小県を支配。
上杉方は景虎が地図上に登場したが、戦力がないので動いても役に立たない。
上杉方についている信濃北部の諸将が支配を固める。
両陣営とも戦力が少ないので、主導権数が多くてもあまり使えない。
村上義清は戦力を増強して、来るべき武田の攻勢に備える。
その一環として、埴科の屋代基綱を地図上に登場させる。
両陣営とも戦力が少ないので、主導権数が多くてもあまり使えない。
村上義清は戦力を増強して、来るべき武田の攻勢に備える。
その一環として、埴科の屋代基綱を地図上に登場させる。
第3回
主導権はまたまた武田。
他国武将で芦名盛氏が登場。
今回は登場しただけで動かない。
武田の調略により、更科の山田国政と埴科の屋代基綱が寝返り。
晴信が甲斐から小県を経由して埴科に進出。
板垣信方も筑摩から小県を経由して埴科に。
ちなみに、小県の真田幸隆は、在地箱にいたときにいちど上杉に寝返ったのだが、その直後に武田に寝返るというややこしい経緯があった。
小県は要地なので、調略合戦の舞台になりやすい。
さて、景虎である。
あわよくば川中島(勝利点3)を支配しようと遠出してきたのだが、埴科が熱くなってきたので足を延ばして救援にやってきた。
さらに高井の高梨政頼も後詰めに入る。
早くも両陣営の総力戦。
晴信「村上義清、手強いのう」
信方「お館さま、あそこに"毘"の旗印が!」
晴信「え、景虎もう来たの? 早すぎるよ」
信方「まさに、"疾きこと風の如し"」
晴信「それじゃ、俺の立場がねえだろ」
武田方の総指揮者は晴信(2-5)
上杉方の総指揮者は景虎(3-3)
(身分と能力が同じだから、村上義清でもいいんだけど)
武田方はサイコロ5個振り、6でヒット。
上杉方は他はサイコロ3個振り、5・6でヒット。
上杉が若干有利。
両軍ともじわじわと戦力を失っていくが、なまじ互角の状況が続くために撤退の決断が下せない。
数回の殴り合った後、武田はついに総戦力が4に低下。
サイコロを4個しか振れないので、撤退を決断。
最後の追撃戦で、寝返った屋代基綱が討ち取られた。
埴科では負けたものの、山田国政の寝返りで更科が武田支配になったため、VPでは武田が上回る。
晴信→信玄、景虎→謙信にパワーアップするまではまだ遠い。
武田方としては、上杉が本格参戦する前に村上義清を退けたかったのだが、失敗。
VPではまだ勝っているが、信濃の地元軍を丸ごと失ったので、大局的に見れば大敗と言ってよい。
回復するまでの間に上杉方が川中島を手中に収めてしまうと、後が苦しい。
上杉の川中島支配を阻止するため、調略で地味に嫌がらせをすることになろう。
コメント
太平記システム第2弾。
コメント
太平記システム第2弾。
「勢力地域」を、武将だけではなく軍勢にも持たせている。
武将が自分の勢力地域以外に留まるには、そこを勢力地域とする軍勢を組下にしていなければならない。
なので、武田と上杉の信濃支配は一進一退になる。
後年、上杉謙信がたびたび関東に越山するも、勢力が扶植できずに苦戦したことを思い出す。